家にBARがあったお話

 

最近、ふいにある音楽を聴きたくなることが多くなった。

 

ジャズだ。

 

何故かはわからない。

 

 

先日、実家に帰った際に父のお気に入りのジャズのCDを一枚拝借してきた。

中を開け曲をかけると、古びた紙のにおいと旋律に誘われて、遠い記憶に思いを馳せた。

 

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私が小学生だった頃。

 

うちの家は少し変わっていた。

生活感の感じられないリビング。

重厚感のあるダークブラウンのシックなローテーブルを、ダウンライトの暖色が優しく照らしていた。

 

そして休みの日の夜は、必ずジャズがかかっていた。

父がウイスキーを口につける度に、グラスと氷がぶつかるカランという音が響く。

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※写真はイメージです

 

母は夕食の時にテレビをつけるのを嫌った。

そのため、夕食はそのままジャズを聴きながら静かに、たまに談笑を楽しみながら。

これが日常だった。

 

小さかった私は、そんな日常に不満を感じていた。

友達の家に遊びに行けば、生活感がある部屋。家族でワイワイ騒ぐ声。面白いテレビ番組の賑やかな音。

 

それに憧れていた。

 

 

時が経ち、高校生。

その頃には、うちがそんなふうに変わっていることなんて気にも留めなくなっていた。

 

大学で実家を出て、社会人。

 

そして今に至る。

 

 

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ジャズの2曲分ほどだろうか。

私は懐かしさに浸りながらぼーっと天井を眺めていた。

 

 

何故、今になってジャズが聴きたくなったのか。

その答えに思い当たった。

 

 

 

大人になったのだ。

 

私が。

 

 

仕事で疲れ帰ってきて、テレビをつける。

何か違う。

 

Twitterを指で遡りながら、ただお酒を飲む。

それも何か違う。

 

 

癒しだ。

求めていたのは非日常的な癒しだった。

 

これが大人になった、ということなのではないだろうか。

 

 

当時の両親は、自らの癒しとなる環境を作り上げ、そこに身をおいていた。

それも徹底的にだ。

 

そこには非日常的な日常があった。

 

 

気付いた瞬間、身が震えた。

そのセンスに脱帽した。

今まで気づけなかった自分の幼稚さを恥じた。

 

同時に、あのダイニングBARに帰りたくなった。

 

 

今度帰る時は、何か美味しいお酒でも買っていこうかな。

 

 

〜カクテルに一番にあう音楽はジャズときまっている。

…ジャズのメロディーラインは心にしみる。

…こらえきれないせつない想い、人生を見送る静かな想い、悲しみをさりげなく軽く笑ってやりすごす、そんな人の心の機微をジャズほどうまく表現する音楽を私は他に知らない。

もし、ふとした時にジャズが聞きたくなるとしたら、あなたも気がつかないうちに、もう充分おとなの「イイ女」になっているのです。

神山純一〈作曲・編曲家〉

 

「グラスを傾けてクール・サウンド Liquor」より

 

 

 

 

 

 

ここで。

現在の私の部屋の様子です。

 

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こんな娘に育ってごめんなさい。

 

 

 

 

 

 

ではまた。